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~今にも終わりそうな小説掲載サイト~
Author:水瀬愁
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8.
人というのも含めて何物も、リストのあるなしは大きな問題だろう。直感、などというのは物の摩擦ともいうべき現象に対しのみ有効と成り得る賭け事だ。何物には直感などそぐわぬ。いや、むしろ失敗という結果すら生まない。失敗と成功の唯一の共通事項が、直感の場合はまるで存在しないのだから。
故にこのような、直感と見間違えても仕方が無い天才っぷりの己の上司に呆れ果てる。
……この人、損するタイプだよな。うんぜったいそうだ。
呆れ顔の真司。それも致し方ないだろう。
前述したリストについて、"ある"は一般的に書記した(この場合、手書きと限定はしない)ものが存在して成立する。つまり"ない"は白紙より空白を極まるわけだ。真司も言葉は違えど、リストの認識は上記と同じ様をしている。真司が見習いであるという立場からすると、彼の認識を構成するのは主に先輩の受け売りである可能性が高い。
だが、もしそう仮定するなら――
「あー……予感的中だな」
この上司を起用した背理法で、いとも容易く不成立を証明できる。
名を桜井吾郎という彼は、真司の言葉を借りるならプロだ。
勿論のこと、実習にきている医学部生の真司からすれば、現役の方は全員プロになる。だがその中でも、彼は次元が違ったのだ。
上記したリストのあるなしの定義を揺るがす。そして彼の直感は、真司が幾万の資料とリストとを比較して信憑性100近くの判断を下すのとイコールだ。
「薬剤投与で、症状の鎮静を試みとこう――」
つまり予感的中なのはいつものことであるので、真司は驚きもせず彼をじっと観察し続ける。視覚情報からは、彼が看護士に指示を飛ばす様に 考慮があるとは思えない。そんなことがありえるのはドラマだけだ、と真司が思っていたのも当分前のことである。
だがその早速さも、医学の場においてはデメリットを生む。無遠慮、などならまだしも患者から猜疑心越しに見られてしまえば医者として終わりだ。軽く見るなよ、と鋭い眼光で訴えてくる患者を、真司はこの実習で何度見かけたことだろう。腫れ物のように扱えとは言わないが、せめて親身になって接するべきだと真司は彼について思っている。
それでも、彼の処置は総て完璧だ。図書館を脳に詰め込んでいるのでは、と真司が真剣に考えてしまうほど。
……" 歴戦の天才"とは、本当はこうまで非現実的なのかもしれない。
※歴戦(単なる、医師としての経験豊富。戦争は関係ない)
「おい、行くぞ」
声を飛ばされ、真司はようやく虚空を見つめる奇妙な動作を止めた。慌てた風にきょろきょろ周りを見、吾郎が少し先で振り返ってきていると解る。
ここで、自分は失態を犯したのだと気づく。
……目の前のことに集中しろ。今は、限りある勉強の機会なんだぞ。
神経質にも血が凍る思いを味わい、真司は駆け出した。
自らを引き締めるため一層強く床を蹴り込んだ。
八つ当たりを受けたリノリウムの床敷きはコツンと不満げな声をあげた。
変哲ない病院。そう表現されたものは実はどこか非平凡的であるのが常だ。
しかし疑う必要はない。なぜならこの病院は、病棟も職員も、変哲ないからだ。
重病であるため入院している患者がいて、悲しみを滲ませる者がいて、悲しみで終えた者がいて――
「おまえはここで待ってろ。この患者の検診は、勉強にならないからな」
「いえ――入れさせてもらって、構いませんか?」
「別に構わないが、俺の非力っぷりが解るだけだぞ。ただ、二つだけ守って欲しいことがある。ひとつは俺にタメをきくな。もうひとつは、患者に不可解な行為を及ぶな」
病院というのは騒がしい場所だが、私語が行き交うためではない。患者自身らが望まぬ限り、その類の騒音は存在しえない。
それでも回診の物音だけはたってしまう。
個室でもそれは変わりない。
故に、其処は異常だった。
廊下からドア一つ隔てたこの先のみは、別世界のようであった。
痛いくらいの静寂である。だが、真司は少しして気づいた。この静寂は、無機質であるのだ。
重さしかないために、強調されるように重々しい。それしか感じられないから、余計に重々しい。
葬式に類似する。真司は、縁起でもない事を考えるなとすぐ様その連想を否定した。形式的なわけではない。真司の本心であった。
そう連想してしまえば、ここに"生"が芽吹くとは二度と思えなくなってしまいそう。
「……生きてるんでしょうか」
白いベッドに沈むのは、蒼白な眠り姫。
いや、白すぎる。血の気が引きすぎている。
診るために吾郎が布団をどけたため、姫のゴム質じみた腕が真司からは見ることができた。
無機質なのは静寂だけじゃなかった、と真司は思わず目を逸らす。
「見ない方がいい、って注意も言外に含んだんだけどな」
吾郎が診ながら呟く。真司の問いへの答えではない。
だから真司は、改めて尋ねた。
「生きているんでしょうか?」
「当たり前だ。ここにいんだから」
吾郎は布団を元の位置にもどした。布擦れの音だけが淡々とたつ。
その作業を終えた吾郎が、じっと真司の目を睨みつけた。真司は嘘を見破られた子供のように、息の詰まる思いを味わった。
それ以上は何も言わず、吾郎は真司の脇をすれ違って退室する。
真司の前には、死のようなものが広がっていた。
目を逸らすことはできなかった。
広い中庭には、ベンチすらある。となれば策士が、その傍に自動販売機を置く。
ぽつんとあるそれらは、行く人の邪魔にならぬよう道の脇に設置されている。
真司は虚ろな瞳を伏せ、そのベンチに腰を下ろしていた。
真司の背後に忍び寄る影――
「せんせー! あそぼあそぼあそぼ!」
「わっ」
背中にボンッと突撃され、真司は思わず声を漏らす。
驚いた後に振り向いた。真司の目に、してやったりという風にニカッと笑う幼女が映った。
小学生くらいだろうか、陽気というか活発的な第一印象がある。
「また君かい……。あまりはしゃぎすぎちゃ、いけないよ。病気って自覚ある?」
「んー」
パジャマは可愛い絵柄がプリントされていて、いかにも子供っぽい。
その児は唸って思考した後、解を見出したのか清々しく言い放った。
「あそぼ!」
真司は諦めた。
ひとつ漏らす溜息。だが彼の困り顔は、どこか笑みに似ているものだった。
「――はい、はい」
青空があった。真司には雲が晴れたように思えた。だが澄み渡る空も、大気も、前からちゃんとあったものだ。
彼女が真司の隣にちょこんと腰を下ろして、幾許かが過ぎた。
今は、手と手をとりあってお寺のおしょさんを歌う。
二人とも大袈裟なくらい、ころころと笑っていた。
さらに少しして、唐突に、
「……微熱だね」
少し火照った様子の彼女に医者志望としての直感が働き、真司は彼女の不調を早期発見した。
「ぼんやりする」
児は目を細めた。前髪を掻き上げられあらわとなった彼女のおでこには、真司の手がぴたっと引っ付けられている。
「当然だよ。――ほら、僕の背中に乗って。病室に戻るよ」
真司は児の前でしゃがみ、背中を見せた。
一拍ほどおいてから、児が動き出す。児にしては謙虚にも、ゆるゆると、真司を気遣うように優しく乗る。
真司は、笑みを溢してしまった。
「行こうか」
真司は言う。どこへとは言わない。自分にはわからないのだから。
「はう」
応じる彼女の歓喜の声が寒空に透き通る。寒空は、これから春の陽気に向かうものだ。
暖かくなれば何がどうなるか、真司にはわからない。
けれど、今のようにいられるだろうと思っていた。彼女の応じる声ひとつで立ち上がった後への不安がなくなった今のように、いられるだろうと。
二人とも大袈裟なくらい、ころころと笑っていた。
そして真司の気持ちは変わった。
暖かくなった頃にはこの児はもっと飛び回れるだろう。そうすればもっと笑っているだろう。という風に。
固定観念に塗り固められた、一抹の不安すら抱かぬその様は。手放しに喜んでいる真司の様子は、いつか手痛い仕打ちを被るだろうと予感させるほど輝いている。
だがそんな事実よりもっと早く――
コツン、コツン。どこだここは。なぜここに来たんだ。コツン、コツン、コツン。なぜここなんだ。そうだ、俺はここを知っている。知らないはずがない。コツンコツンコツンコツン。
勢いよくドアを開けた。
あいもかわらず、姫が眠り続けている。その傍まで寄った真司は、つらそうに眉を顰める。
真似をして姫の顔を覗きこむ児。 元気そうだ。
真司は何かがおかしいと思った。だが砂漠の砂粒を数えるのと同じくらい、興味が湧かなかった。考えたくもなかった。
考えることができないのだとは気づかない。
そして真司は、言いたくなった。まるで尋ねられたかのように、言わなければいけないような気になった。急かされているような気分になった。誰に? 真司以外には、児しかいない。ならば児が真司を急かすのだろう。そう思った途端、その通りだという風に児の存在感が真司の中で増した。考えに耽り過ぎた、そろそろ言わなければ。真司は心を決めた。
「……助けてあげられないだろうか」
真司は児に向いて、ぽつりと零した。
児はにっこり微笑んだ。
「できるよ」
そして、真司は違和感の正体を 思い出した けれど総てを吹き飛ばすように、風が――それは見る見るうちに上昇気流のようになり。
ついには竜巻が発生。真司は咄嗟に顔を覆うように腕を前に出した。
真司の見ぬ間に、風脚で運ばれる。
ふわりと。不自然さはまるでない。腰を上げるようなものだというように。
人が浮くという超常現象は法則を総て振り切り、ここに成立する。
空には、眠りから覚めた姫が残る。光を帯びたその身は、輝かしい衣装が包む。
女神が再臨したと、世界のみが思い知らされる。
否――もう一人、居たようだ。
ギィィィ。
今、世界に起きた急変を窺うために開けた空間の 狭間を、興味を失ったから 閉じ切った異質。
その落とし子の呼称は言わずもがな、だろう。
人というのも含めて何物も、リストのあるなしは大きな問題だろう。直感、などというのは物の摩擦ともいうべき現象に対しのみ有効と成り得る賭け事だ。何物には直感などそぐわぬ。いや、むしろ失敗という結果すら生まない。失敗と成功の唯一の共通事項が、直感の場合はまるで存在しないのだから。
故にこのような、直感と見間違えても仕方が無い天才っぷりの己の上司に呆れ果てる。
……この人、損するタイプだよな。うんぜったいそうだ。
呆れ顔の真司。それも致し方ないだろう。
前述したリストについて、"ある"は一般的に書記した(この場合、手書きと限定はしない)ものが存在して成立する。つまり"ない"は白紙より空白を極まるわけだ。真司も言葉は違えど、リストの認識は上記と同じ様をしている。真司が見習いであるという立場からすると、彼の認識を構成するのは主に先輩の受け売りである可能性が高い。
だが、もしそう仮定するなら――
「あー……予感的中だな」
この上司を起用した背理法で、いとも容易く不成立を証明できる。
名を桜井吾郎という彼は、真司の言葉を借りるならプロだ。
勿論のこと、実習にきている医学部生の真司からすれば、現役の方は全員プロになる。だがその中でも、彼は次元が違ったのだ。
上記したリストのあるなしの定義を揺るがす。そして彼の直感は、真司が幾万の資料とリストとを比較して信憑性100近くの判断を下すのとイコールだ。
「薬剤投与で、症状の鎮静を試みとこう――」
つまり予感的中なのはいつものことであるので、真司は驚きもせず彼をじっと観察し続ける。視覚情報からは、彼が看護士に指示を飛ばす様に
だがその早速さも、医学の場においてはデメリットを生む。無遠慮、などならまだしも患者から猜疑心越しに見られてしまえば医者として終わりだ。軽く見るなよ、と鋭い眼光で訴えてくる患者を、真司はこの実習で何度見かけたことだろう。腫れ物のように扱えとは言わないが、せめて親身になって接するべきだと真司は彼について思っている。
それでも、彼の処置は総て完璧だ。図書館を脳に詰め込んでいるのでは、と真司が真剣に考えてしまうほど。
……"
※歴戦(単なる、医師としての経験豊富。戦争は関係ない)
「おい、行くぞ」
声を飛ばされ、真司はようやく虚空を見つめる奇妙な動作を止めた。慌てた風にきょろきょろ周りを見、吾郎が少し先で振り返ってきていると解る。
ここで、自分は失態を犯したのだと気づく。
……目の前のことに集中しろ。今は、限りある勉強の機会なんだぞ。
神経質にも血が凍る思いを味わい、真司は駆け出した。
自らを引き締めるため一層強く床を蹴り込んだ。
八つ当たりを受けたリノリウムの床敷きはコツンと不満げな声をあげた。
変哲ない病院。そう表現されたものは実はどこか非平凡的であるのが常だ。
しかし疑う必要はない。なぜならこの病院は、病棟も職員も、変哲ないからだ。
重病であるため入院している患者がいて、悲しみを滲ませる者がいて、悲しみで終えた者がいて――
「おまえはここで待ってろ。この患者の検診は、勉強にならないからな」
「いえ――入れさせてもらって、構いませんか?」
「別に構わないが、俺の非力っぷりが解るだけだぞ。ただ、二つだけ守って欲しいことがある。ひとつは俺にタメをきくな。もうひとつは、患者に不可解な行為を及ぶな」
病院というのは騒がしい場所だが、私語が行き交うためではない。患者自身らが望まぬ限り、その類の騒音は存在しえない。
それでも回診の物音だけはたってしまう。
個室でもそれは変わりない。
故に、其処は異常だった。
廊下からドア一つ隔てたこの先のみは、別世界のようであった。
痛いくらいの静寂である。だが、真司は少しして気づいた。この静寂は、無機質であるのだ。
重さしかないために、強調されるように重々しい。それしか感じられないから、余計に重々しい。
葬式に類似する。真司は、縁起でもない事を考えるなとすぐ様その連想を否定した。形式的なわけではない。真司の本心であった。
そう連想してしまえば、ここに"生"が芽吹くとは二度と思えなくなってしまいそう。
「……生きてるんでしょうか」
白いベッドに沈むのは、蒼白な眠り姫。
いや、白すぎる。血の気が引きすぎている。
診るために吾郎が布団をどけたため、姫のゴム質じみた腕が真司からは見ることができた。
無機質なのは静寂だけじゃなかった、と真司は思わず目を逸らす。
「見ない方がいい、って注意も言外に含んだんだけどな」
吾郎が診ながら呟く。真司の問いへの答えではない。
だから真司は、改めて尋ねた。
「生きているんでしょうか?」
「当たり前だ。ここにいんだから」
吾郎は布団を元の位置にもどした。布擦れの音だけが淡々とたつ。
その作業を終えた吾郎が、じっと真司の目を睨みつけた。真司は嘘を見破られた子供のように、息の詰まる思いを味わった。
それ以上は何も言わず、吾郎は真司の脇をすれ違って退室する。
真司の前には、死のようなものが広がっていた。
目を逸らすことはできなかった。
広い中庭には、ベンチすらある。となれば策士が、その傍に自動販売機を置く。
ぽつんとあるそれらは、行く人の邪魔にならぬよう道の脇に設置されている。
真司は虚ろな瞳を伏せ、そのベンチに腰を下ろしていた。
真司の背後に忍び寄る影――
「せんせー! あそぼあそぼあそぼ!」
「わっ」
背中にボンッと突撃され、真司は思わず声を漏らす。
驚いた後に振り向いた。真司の目に、してやったりという風にニカッと笑う幼女が映った。
小学生くらいだろうか、陽気というか活発的な第一印象がある。
「また君かい……。あまりはしゃぎすぎちゃ、いけないよ。病気って自覚ある?」
「んー」
パジャマは可愛い絵柄がプリントされていて、いかにも子供っぽい。
その児は唸って思考した後、解を見出したのか清々しく言い放った。
「あそぼ!」
真司は諦めた。
ひとつ漏らす溜息。だが彼の困り顔は、どこか笑みに似ているものだった。
「――はい、はい」
青空があった。真司には雲が晴れたように思えた。だが澄み渡る空も、大気も、前からちゃんとあったものだ。
彼女が真司の隣にちょこんと腰を下ろして、幾許かが過ぎた。
今は、手と手をとりあってお寺のおしょさんを歌う。
二人とも大袈裟なくらい、ころころと笑っていた。
さらに少しして、唐突に、
「……微熱だね」
少し火照った様子の彼女に医者志望としての直感が働き、真司は彼女の不調を早期発見した。
「ぼんやりする」
児は目を細めた。前髪を掻き上げられあらわとなった彼女のおでこには、真司の手がぴたっと引っ付けられている。
「当然だよ。――ほら、僕の背中に乗って。病室に戻るよ」
真司は児の前でしゃがみ、背中を見せた。
一拍ほどおいてから、児が動き出す。児にしては謙虚にも、ゆるゆると、真司を気遣うように優しく乗る。
真司は、笑みを溢してしまった。
「行こうか」
真司は言う。どこへとは言わない。自分にはわからないのだから。
「はう」
応じる彼女の歓喜の声が寒空に透き通る。寒空は、これから春の陽気に向かうものだ。
暖かくなれば何がどうなるか、真司にはわからない。
けれど、今のようにいられるだろうと思っていた。彼女の応じる声ひとつで立ち上がった後への不安がなくなった今のように、いられるだろうと。
二人とも大袈裟なくらい、ころころと笑っていた。
そして真司の気持ちは変わった。
暖かくなった頃にはこの児はもっと飛び回れるだろう。そうすればもっと笑っているだろう。という風に。
固定観念に塗り固められた、一抹の不安すら抱かぬその様は。手放しに喜んでいる真司の様子は、いつか手痛い仕打ちを被るだろうと予感させるほど輝いている。
だがそんな事実よりもっと早く――
コツン、コツン。どこだここは。なぜここに来たんだ。コツン、コツン、コツン。なぜここなんだ。そうだ、俺はここを知っている。知らないはずがない。コツンコツンコツンコツン。
勢いよくドアを開けた。
あいもかわらず、姫が眠り続けている。その傍まで寄った真司は、つらそうに眉を顰める。
真似をして姫の顔を覗きこむ児。
真司は何かがおかしいと思った。だが砂漠の砂粒を数えるのと同じくらい、興味が湧かなかった。考えたくもなかった。
考えることができないのだとは気づかない。
そして真司は、言いたくなった。まるで尋ねられたかのように、言わなければいけないような気になった。急かされているような気分になった。誰に? 真司以外には、児しかいない。ならば児が真司を急かすのだろう。そう思った途端、その通りだという風に児の存在感が真司の中で増した。考えに耽り過ぎた、そろそろ言わなければ。真司は心を決めた。
「……助けてあげられないだろうか」
真司は児に向いて、ぽつりと零した。
児はにっこり微笑んだ。
「できるよ」
そして、真司は違和感の正体を
ついには竜巻が発生。真司は咄嗟に顔を覆うように腕を前に出した。
真司の見ぬ間に、風脚で運ばれる。
ふわりと。不自然さはまるでない。腰を上げるようなものだというように。
人が浮くという超常現象は法則を総て振り切り、ここに成立する。
空には、眠りから覚めた姫が残る。光を帯びたその身は、輝かしい衣装が包む。
女神が再臨したと、世界のみが思い知らされる。
否――もう一人、居たようだ。
ギィィィ。
今、世界に起きた急変を窺うために開けた空間の
その落とし子の呼称は言わずもがな、だろう。
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7.
女神は勝利の余韻に浸っていた。
四肢を失くしている様だけから、女神が勝ったとは誰が予想しえようか。
だが、女神が勝利したのは確かだ。魔女を力でねじ伏せたのだ。
「そういや、なんで戦ってたんだっけ……あー…………忘れた。ま、いっか」
宙域に留まるだけの力すら無いのか、女神は滑落してゆく。
四肢を失くした理由は、なんと自滅だ。
魔女に回避を許さぬため、女神は『伏兵』には世界全土を覆わせた。それだけでなく、威力も制限されていない。自身の安全性は軽く無視されている。
女神は、自らを守る手段は魔女の最高の一撃『テトラ・メメントモリ』を逆に利用することで補ったつもりだったが、魔女がダメージを食らうと同時に消えてしまうとは予想していなかったようだ。『テトラ・アース』の事例があるのだから、情報は足りていただろうに。
「とまあ、そんなこんなで五体過半数以上が不満足という結果になってしまったわけだが」
その事例と同様に、刃の雨は摩天楼を屠るより早くに掻き消えている。世界が大混乱に陥ることはないだろう。女神はこれ以上、頑張る必要はない。何も懸念せず、休養を取ることができる。いや取らなければなるまい。
だが手段が見つからないようだった。どうしようか、と女神が呟いたとき、
涼やかな夜風がそっと彼女の頬を撫でた。
「――っ」
風の行く先に向いて、女神は気づいた。
朝が、山際に迫ってきている。
踊り狂う髪を押さえたくてうずうずしながら、女神は確信を得た。
「終わった……」
――事実を確かめた。
だが事実とは、真実と表記されていないが故にえてして真実性のないものだ。
幸いなことに、女神がそれを知るのは危機的状況下でのことではない。
――そして、ゆるゆると目を閉じる。
「疲れた……」
抵抗の余地無く、女神の心は体から離別していく。
薄れゆく女神の意識は、ひとつに束ねられていた。
ありがとう、という一文だ。
邂逅を果たしてからこれまでのことが、女神の脳裏を駆け巡る。
――始まりがあまりにも偶発的だったけれど、選ばれたせいでこんな破目になってしまったのは、
嬉しくてたまらない。純粋に楽しかった。使命感など忘れて、ただはしゃいでいた。自分はこんなにも狂っていて、天使には似合わない。けれど天使は傍にいてくれた。戯言も信じて、私に夢を見せ続けてくれた――だからありがとうと、女神は抱く。
おんぷてんしが見せた夢が終わるように、
夜は明けた。